坑井は、最初から完成していた。
少なくとも、紙の上では。
北海道のこの油田は、何十年も前から掘られてきた。地層の構成はほぼ分かっていて、どの深度にどんな層があり、どこでケーシングを入れ、どの程度の泥比重が必要か──すべてが過去の井戸データに基づいて決められている。
今回の井戸も例外ではない。設計書には、驚くほど迷いがなかった。
この地域の井戸が、最初から「分かっている」と言われるようになるまでには、ずいぶん遠回りをしている。
昔、このあたりの貯留層は、誰も想定していなかった形をしていた。
「逸泥が止まらないほど、いい井戸になるんだ」
ベテランの掘削作業員は言う。
多くの油田では、石油やガスは礫岩のような、隙間の多い岩に溜まる。水がスポンジに染み込むように、流体はゆっくりと岩の中を満たしていく。
だが、ここは違った。
ガスが溜まっていたのは、岩そのものではなく、花崗岩の中に走る割れ目──フラクチャーだった。
地表から四千メートル以上掘り進み、首尾よくその割れ目に当たると、井戸はザルのように泥水を飲み込んでいく。
循環は戻らない。
掘削は続けられない。
当時、それを成功と呼ぶべきか、失敗と呼ぶべきか、誰にも分からなかった。
掘削や検証を重ねるうちに、フラクチャーは概ね垂直方向に、東西へ広がる傾向があることが分かってきた。
それを貫くために、ターゲット層では井戸をわずかに傾けて掘る。
「的を貫くように掘るんだ。」
今では当たり前になったその考え方も、当初は手探りだった。
埋蔵量の見積もりも難しかった。
礫岩の貯留層であれば、その広がりを三次元的に捉えることで、ある程度の予測が立つ。
しかしフラクチャーは、面として、あるいは線として広がる。浸透性が高く、圧力の変化がどこまで伝わるのかも分かりにくい。
通常の井戸では、生産が進むにつれて、少しずつ鉱水が混ざってくる。
だがフラクチャーの井戸は違う。
ある日突然、水が来る。
その瞬間まで、兆候はほとんどない。
今では、こうした特性も一通り整理され、井戸の設計に織り込まれている。
逸泥は想定され、フラクチャーの向きも前提条件になった。
かつては「分からなかったこと」は、図面の中で「分かっていること」に置き換えられている。
主人公は、その設計書を見ながら思う。
この井戸が、ここまで来るのに、どれほどの判断と失敗が積み重なってきたのかを。
そして今、自分はそのどこを引き受けているのだろうか、と。
掘削計画会議で議論になったのは、せいぜい作業日数の見積もりと、天候による遅延リスクくらいだった。
地質について誰かが声を荒げることもない。
「このあたりは、もう何本も掘っているからね」
その一言で、話は終わる。